これまでに書いたFacebookやブログから抜粋・編集したものを掲載しています。

優しい光(2015.11.16)

今年の秋は、色んなことを感じて、沢山の悲しみを感じて、沢山の愛を感じた秋でした。

そうそう、先日、あるメモを見つけて、ちょっと笑いました。

これは藤井和子さんのスターコネクターという、自分の星を読み解いていくという楽しい講座を受けた時のメモなのですが、そこには

「佳代子さんの場合、霊的覚醒ではなく、人間に覚醒(笑)」

と書いてありました^^;

確かにそうかもって思いました(笑)。
そう考えた方が、自分の人生を振り返った時に腑に落ちます。


人の、血の通った暖かい交流って、素敵だなって思います。
同情や共感、優しさっていいなって思います。

人が好きで、その方の心根の美しさに感動するこのお仕事ができて幸せです✨
大切な家族がいて、友人がいて、猫がいて、愛する人がいて、幸せです。

そして、大切な存在を失うのがとても怖いです。
それは、私がとても幸せだから抱くことの出来る恐れなんだなって思います。


宇宙的な、全てと繋がっている魂の意識に目覚めていくことと、地球生まれの肉体と心を持ったひとりの人間という自分に目覚めていくこと。

これは私が感じたことですが、どちらも深める所まで深め、一度山の頂上に登ってしまえば、辿り着く意識に違いは無い気がします。

もちろんそのあとも人生は続くし成長は続くので、その辿り着いた意識で今度はまたこの世界を生きていって、皆なんか面白いことをしていくんだろうなって思います。

ご存知の方も多いかと思いますが、私は既に余生を過ごしているような感じで存在させてもらっています(笑)

これからどんな風に過ごしていくのかな~(*´д`*)

相変わらず優しい光に包まれながら、流れのままに生きている今日この頃です☆

本日もお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

何かのお知らせ以外はほぼ独り言なブログですが、ご訪問いただけることに感謝しております✨

それではまた~☆

ゼロの人(2015.10.22)

やっぱり私はゼロの人なんだな~と、この前ふと思いました。

「あなた、何もないの。生まれた時からなにもない。ゼロなのよ」という15年ほど前に言われた占い師さんの言葉。

当時も納得していたけれど、今も「そうだな~」と思います。


何か無いと、何かしてないと、何か願望がないと、存在する理由がないわけで、そして存在する理由や願いはこの世界に人間をつなぎ止めるもので、私はそれが無いまま、持つことができないまま、生き続けてみました。

カルマはこの世界に生まれる大きな理由で、「やることがある」状態でもあると思います。
私はそれが無い状態で、そしてカルマを作ることも出来ないまま、もちろん楽しい事もあるけれども、あまり理解されない絶望感とともに生きていました。

こうして生きてみて感じるのは、「これまではそうだった。ほとんどの人がそうやって存在していた。だけど変わっていっている」ということ。

何か無いととか、そういう存在の仕方はだんだん溶けるように終わっていき、ゼロの人が生きやすくなってきている気がします。

もちろん地球のペースがあるから、一気に楽になるわけではないけれど、そこに向かうプロセスも不思議で楽しいなって思います。


本当に書きたいのは、この先の、ゼロな私に願うことという灯りがともったお話だったのですが、それはまた今度にします^^

課題というか、チャレンジがあるとしたら、ゼロな人の課題のひとつは、「願うこと」なのかもしれません。
ゼロな人が願うことは、すごく個人的なことだったとしても、なんとなく全体に繋がっているように思えます。

愛は尊いもの(2015.8.12)

こんにちは☆
色々ご案内が溜まっています(*´д`*)💦

気付くと日数が経っている感じで。。。(*´д`*)💦


昨日はお仕事の後、お隣さんと遊びました^^
おしゃべりも楽しかったし、見たかった映画を見ることも出来て嬉しかったです☆

映画は「バケモノの子」を観ました✨
とても楽しめました^^

愛って、いいなって思いました。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、獣達の表現はまっすぐで、迷いがなくて、素敵でした。


前にとても辛かったとき、今お世話になっているセラピストさんが、「佳代子さん、愛は尊いものだから、誰もその愛を脅かすことは出来ないんですよ」という言葉をかけてくださったのが、今でも心に残っています。

本当に、愛は尊い。
そう思います。

愛は振りかざした瞬間、別のものになってしまう。
愛を理由にした瞬間、自分を見失ってしまう。

おじいちゃん的に暮らしている私ですが、私の中にいる、小さくて純粋な子供の部分が、
「どうして?なんで?そんなの愛じゃない」
と、悲しかったりもどかしかったりする時が、今もあります。

だけど、もし私がそれを正論という剣を振りかざして主張したら、それもまた自分らしさから遠ざかるものになってしまう気がします。

「なんで?どうして?」と悲しい気持ちになったとき、子供の私を大人になった私が優しく包んでいる。
そんなイメージが浮かぶのです。

子供の私の純粋な心は、大人の私によって守られていて、子供の私によって大人の私は強くなれる。

数年前から、そんなふうに感じています。

あ、なんか話が微妙に脱線しちゃったかも?!(*´д`*)💦

映画の感想を書こうとしたら、私の中の、子供&大人劇場のことを書きたくなって書いちゃいました。

お読みいただきまして、ありがとうございます☆

愛は尊い。
いい言葉だな~って思います。

すでにあるものたちに、いつも新鮮に感動する日々(2015.7.6)

以前にも増して、「必要なものが目の前にあらわれてくる」ということが増えている気がします。

だからそれに取り組んだり、楽しんだり、出会いを喜んだり。。。ただただ目の前の物事と、その瞬間を味わっている日々なのかなって思います。


土曜日は自分のためのセッションを受けに行って、「何かしようとすること、もがくことをやめる」ということを、もっともっと楽しみたいなって思いました。

そうしていくと、私らしさというものに触れられる気がするのです。

きっといつも私の魂は、求めるものを目の前に持ってきてくれていて、そしてすでに満たしてくれているものもここにあったりするから、それらに気付いて、「ありがとう」と微笑みかけられる心を持っていたいです。

既にここにある幸せに、いつも新鮮に感動する日々を送っていることが、奇跡のように思えて仕方がありません。

モード遊び(2015.7.12)

相変わらず、平和な日々が続いております。
あと、窓口の永井さんがお休み中なので、窓口業務も体験中です☆

昔は全部ひとりでやっていて、いつも、なにかスケジュールに書き漏れがないか不安でした^^;
定休日も作ってなかったので、お休みの日も、「今日って本当にお休みかな?大丈夫かな?」という状態でした。

いつの時もお仕事は楽しかったけれど、今がとてもバランスよく、充実しているのかなって思います。


それとこれは昨年からもお寄せいただいているご相談なのですが、
「情報が多くて、何を信じていいのか分からなくなってしまう」
ということを、打ち明けていただくことが多いです。


そういう時は、おばさんモードというか、おじいさんモードというか、そういう感じでとらえるのもおすすめです(笑)。

「あらまあ、そうなのね~」
「おやおや、まあ、そういうとんがりたい時もあるある~。わしにもそんな時代があったのぉ」

とか、そんな感じ?!

コジコジモードもおすすめです(笑)。

「へ~、そうなんだ☆ところでこのおまんじゅう、おいしいね」

みたいな感じ☆


色んな説があって、色んな視点があって、色んな主張があって、色んな想いがあって、そういう世界なのだと思うので、いいんじゃないかなって思います。

だって宇宙って、矛盾して調和しているのだから。

人間自体もそうだと思います。

この主張とこの主張は矛盾している!訳分かんない!が普通というか、定義付けや固定が無理なんだと思うのです。

だから、ひとつひとつの情報に関して、「その考えもありだね。この考えもありだね。でもそれとこれは相反しているね」っていうのって、普通にOKなのではと思います。

色んな情報のなかで、ご自身が惹かれるものたちに共通するエッセンスがあるはずで、そのエッセンスは自分自身を喜ばせる物なのだと思います。
その部分だけひょいってピックアップしちゃえばいいんじゃないかなって思います。

ただこの「ひょい」が出来るのは、自分の中心がちゃんとあって、そこに信頼を置いているときなんですよね。

簡単なようで難しいのかもしれません。

でも、ちょっと遊び感覚で、さっき述べた、おばちゃんモードとかおじいちゃんモードとかコジコジモードを試してみても楽しいかもって思います^^

クスッと笑えると、もっと気軽に情報を楽しめるかもしれません。

かくいう私は、最近はクローゼットのアイテム達を整理するアプリをつかって、今持っている服とかを記録するという地道な作業に追われています(*´д`*)💦

そうすると、改めてこれとこれ、合うね~とか、新しい発見が出来て楽しいです☆

やはり平和ですね。
平和すぎますね(笑)。

チーム自分も続いているので、ほげほげとマイペースに暮らしを楽しんでいきたいです^^

内観は、問題を探すツールではない(2015.5.3)

もし、内観が自分にとって、自分の中の問題を探すツールになっているのであれば、止めた方がいい。
さらに、それプラス「解決」を目的に加えてする内観は、もっと止めた方がいい。
そう思います。

カウンセリングでも、内観が自然と促されることがありますが、あくまでも「自然に」です。
そしてその自然の流れのまま、もう少し深く見つめていくと、その方に何らかの良い影響がもたらされると感じる場合は、一緒に見つめていくこともあります。
その時も、それらを「問題」として内観していくことはしません。

本来、内観は、その人が自分という存在を愛していくことや、ここに存在することをサポートする手段の一つだと思うのです。
手段の一つだから、必ずしもそれをしなければならないということでもないと思います。

また、内観をすることで逆に混乱してしまう方も少なくありません。

自分を知っていく方法は、人それぞれだと思います。
自分なりの、自分を感じて知っていくやり方、そしてその中に楽しさや愛を見出すことができたら、心の荷物は随分軽くなると思います。
軽くなった分、視野は広がり、心が感じ受けるものが豊かになっていくのではないかと思います。

内観って、デリケートな作業だと、私は自分の経験や、セッションをさせていただく中で実感してきました。
私がお世話になっているカウンセラーさんが、「内観という言葉は危険」とおっしゃっていたことがあって、とても納得したことがあります。

「セッションを受けたら、ワーカーさんに、あたなのこういう所が問題だから、内観してくださいと言われました」
とおっしゃって、それがうまくいかなくて、コンサルテーションなどのセッションをお申し込みくださる方も珍しくないのですが、その「内観してください」は無茶振りだなぁと、そういうお話を聞くたびに、内心思っちゃいます。
(内心思っていたのですが、書いちゃった☆)

もしその指摘が的確だったとしても、そこを一緒に取り組むことが大事なのでは。。。と思います。

このままだと熱い持論を書き連ねてしまいそうなので、話を戻します。
基本のほほんな私ですが、時と場合により、暑苦しいほど熱くなってしまいます^^;


内観は、問題を探したり、問題視することが前提のものではないと思います。
また、気付きや解決が目的なわけでもありません。

自分の心の動き、肉体の状態、今何を感じているか、今自分はどういう存在なのか、何者なのか、何者でもないのか、、、、ただただ感じる。。。そんな時間なのだと思います。

感じたことは、必要であれば後から気付きや現実的な変容となって現れてくるから、内観の最中は気付くことをノルマにせず、ただ感じることに集中するといいかなって思います。

そして何度も書きますが、別にしなくてもいいのです。(しつこい?^^;)

内観を通して自分とのふれあいに癒されて、ニュートラルな精神状態になれる方には、内観は向いていると思いますが、苦痛ならしない方がいいです。
内観って、修行ではなくて、リラックスするためのものだと思うから。
リラックスして、自分という存在を知り、大切に思える時間なのだと思います。

なんだか内観について書きたくなってしまって、書いちゃいました☆
1日に2個もブログを書いたのは久しぶりです。

まだ外は明るいし、お散歩にでも行って来ようかな~(*´д`*)
風が気持ちいい季節ですよね☆

素敵な循環。見えない部分の大切さ(2015.5.6)

自分が受けるセッションで、クライアントさまは佳代子さんをとても信頼なさっていますよと、教えていただくことがあります。

それは私も自覚をしています。
この自覚はいつからかな?と思い返してみてもわからないので、もしかしたらこのお仕事を始める前からなのかもしれません。

クライアントさまからの信頼は、私にこの仕事においての品格を保ち続けることを支えてくださっているように感じます。

話は少し昔にさかのぼるのですが、百貨店での販売員時代も、私はこんなかんじだったなぁということを思い出しました。

接客販売のお仕事をしていたことを話すと、たまに「陰ではどんなことを話しているの?」と聞かれたりします。
私は「少なくとも私が知っている限りでは、陰でお客様のことを悪く言う人はいなかったよ。朝礼とかの引き継ぎの時も、丁寧な言葉遣いで、お客様が聞いてなくても、尊重する言い方をしていたよ」などと答えるのですが、
そうすると「意外だ~」と言われたりします^^;

販売員さんも色んな人がいるので、みんながそうではないかもしれませんが、私が在籍したお店はそうでした。
だから、その後自分が店長になったお店でもそうしていました。

前にも「SVになりたかった夢」というブログで書かせていただいたことがあるのですが、私が在籍していた会社では、「クレーム」という言葉を使いませんでした。
お客様をクレーマーにはしてはいけない。そして、お客様の時間を割いてまで言ってくださることはクレームではないという考えから、「お申し出」という言葉を使っていました。

もちろん朝礼やミーティングなどの会話や態度はお客様には見えません。
でも、私は思うのです。
見えないところでの姿勢は、どこかで顕われると。
そして、お客様はちゃんと感じ取っていらっしゃると。


話を今にもどして、少し前にスーパーバイジーの方とのセッションの中で、話の流れで「スーパービジョンで話す内容って、そのご相談の案件のクライアントさまには決して聞かれることはないのだけど、私はたとえそのクライアントさまに聞かれても安心していただけるような言い方を心がけています」
と言ったことがあります。

スーパービジョンでは、スーパーバイジーが自身のお仕事の状態を見てもらったり、クライアントさまのことを相談したりします。
クライアントさまにとっては、知らぬ所で相談されちゃう感じなのですが、もちろん守秘義務が発生しますし、より良いセッションをご提供するための相談なので、スーパーバイジーにとってスーパービジョンは本来の力を発揮して、健全なお仕事をしていくサポートとなるセッションなのです。

スーパービジョンで話す内容は、スーパーバイザーとスーパーバイジーしか知り得ません。
でもそういう場でも、たとえ相談の対象となっているクライアントさまに聞かれても、安心して聞いていただけるような言い方をしたいと思っております。

スーパーバイザーの姿勢は、スーパーバイジーに影響します。
スーパーバイジーの姿勢は、クライアントさまに影響します。

見えない所での姿勢は、必ずどこかで顕われる。
お天道様は見ている!!
そんな感じです(笑)。

これはスーパービジョンの例ですが、どんな業種でも、見えないところでの姿勢は、必ず顕われてきます。
だから気をつけているのかというと、それはちょっと違います。

やはりクライアントさまから信頼をいただいていることが、私の姿勢を支えてくださっている。
そしてきっと、私も信頼しているのだと思います。

またもや少し昔のエピソードなのですが、このお仕事を始めると決めたとき、私はまだ8ヶ月先まで休職手当をもらえる状態でした。
当時の夫は「不安定な仕事なのだから、もらえるものはもらった方がいい」と言っていたのですが、

私は、「見えない仕事だからこそ、ちゃんとしたい。クライアントさまをだますようなことはしたくないの。それに会社に籍を置いて休職手当をもらい続けるのは窮屈で、思いっきりお仕事できない気がする」と言って、退職届を出しました。

元夫は「佳代子らしいな」と言っていました(笑)。

この信頼は、どっちが先かは分かりません。
でも素敵なサイクルだなって思います。

大切にしたい、私の中の芯。
その芯に信頼を受けて、私はこれからもこのお仕事を楽しんでいくのだと思います。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます☆
今夜こそシャーロックの第3話を見る予定!
楽しみだ~♪

それではまた^^

真実の剣(2015.5.10)

誰かとの関係の中で、「これだけは言っておきたい!言ってやらないと気が済まない!」という気持ちになることもあったりします。

クライアントさまがそういうお気持ちになられているとき、もし私の中で「本当にそれをしたら、この方が傷ついてしまう(この出来事は、それをやるために起きたのではないから)」と感じた場合、違う方法をご提案することがあります。

その違う方法は、その方がもっとご自身を好きになるような、自分で自分を誇らしく思えて自信に繋がるようなものがいいなと思って、一緒に考えたり、その都度感じるままにご提案しています。

言ってやるんだ!と思って、ガツンと言ってみる。
それが良い場合もあるかもしれません。

言っておきたい!言ってやりたい!は、攻撃的な感情にはなっているものの、それらは聞いてほしいご自分の気持ちだったりします。
そしてそこにはご自分の真実があって、とても大切なものだと思うのです。

時々セッションの時に言う言葉があります。

「真実を剣に例えるとしたら、私なら、私の真実の剣を、その剣を向けるにふさわしい相手にだけ、向けると思います」

と言う言葉です。

そして、その剣を向けるのにふさわしい相手とは、信頼を寄せている相手なんじゃないかなって思います。
この剣を受け止めてくれる、分かち合える。そう信じている相手。
そしてきっと、自分もその人の剣も受け止めたいと思えるような相手なのだと思います。
そうでない人にこの剣を向けてしまうと、その剣はたちまち自分を傷つけるものへと変わってしまう。そんな気がするのです。

ああ、ここでは真実の剣を抜くべきではないんだな。。。そう思うと悲しみを感じることもあるかもしれませんが、前には進めるようになります。

色んなご縁の形があって、「こういう時はこう!」という決まりもないのですが、ふと真実の剣のお話を書きたいな~と思って、書かせていただきました☆


今日はのんびりしています。
録画が溜まっていた「世界ネコ歩き」を見てほっこりしている最中に、なぜか思い立ってブログを書いた次第です(笑)。

母の日にUVカットグローブと日傘を買ったのですが、ちゃっかり自分用にも買ったので、装着してお散歩でもしようかなぁ(*´д`*)

それではまた~☆

この日常が(2015.4.12)

この日常が特別だと思えたら、毎日が特別な日になるよねって思います。

もし悩んでいることや、自分や誰かに対して抱いているモヤモヤがあったとしても、それはこのいつもの日々があるから。
この日常が崩壊したら、同じ悩みを抱えているだろうか?

崩壊してから気付く。
だから、何かしらの大きな破壊が引き起こされていく必要があったりする。
そういう出来事は、確かに多くの人の覚醒の引き金になったりします。

でも、もうそういう引き金は嫌だなって思いました。
この日常が特別だってことを実感できる人が増えたら、もっと違う形で人は視野を広げ、心を豊かにしていくのではないか。
そう思いました。

なんか、これまでの闇を乗り越えて光という成長のプロセスから、「え~!こんな幸せ、怖すぎる~(*´д`*)こ、困ります~(*´д`*)」っていう、人類にとって新鮮な恐れを乗り越えていくような、これまでの光を乗り越えて未知の光へといくような、そんな楽しいチャレンジに切り替わっていくといいなって思うのです。


ぼんやりと、そんなことを考えていた今日でした☆

時と仲良くなる(2015.3.20)

最近、「時と仲良くなる」という言葉がよく浮かびます。

個人的にこれは本当だなって思うのですが、もし今が大変な状況だったり、最悪だと思う状況だったとしても、時は変わらず流れていて、「ずっとこのままな訳がない」って思うのです。

私がとても苦しかったとき、「こんなに最悪な状態がずっと続くわけがないのですよ。いつか終わる時がちゃんと来ますから」と、お世話になったセラピストさんに言われたことがありました。

もちろんその渦中にいるときは、そんな風に思える余裕ってなかなかないのですが、実際にその苦しみが終わった時に、「ああ、時が癒してくれるって本当なんだ。。。」と思いました。

私にとってどのセッションも、その時に起きたこと、交わした会話などの全てが神聖な気がして、ブログではなかなかセッションでのやりとりを書くことができないのですが、クライアント様が話してくださる状況の中には、「ああ、きっと時が癒してくれる。大丈夫」と信じることができることがあったりします。
根拠はないのですが、信じることができるのです。

その時が来るまでは、もしかしたらどっぷりとその状況に浸かるのかもしれません。
その時の私が出来ることは、そのどっぷりと浸かる体験を、なるべく安全にできるように護ったり応援することだったりするのかもしれません。時には一緒にモヤモヤしながら。

でも私自身が「時」に癒され、解決へと導かれた経験があるから、一緒にモヤモヤしても希望を抱き続けられるし、必要に応じてですが、「時」と連携した不思議な感じの、ややまったりとしたお手伝いが出来るようになったのかなって思います。

「時と仲良くなる」

時は、この世界に贈られたギフトのように思えるのです。
時は、皆に平等に、優しく流れている気がするのです。

そんな「時」を感じて、こころがほっこりする今日この頃です。

私のバイブル(2015.2.17)

日常はかなりほんわかしているのに、夢はちょっと怖いものを見るという日々が続いています(*´д`*)
悪夢にうなされるわけでもなく、淡々と怖い夢を見て、いつもの平和な1日が始まるという、不思議な感じです。

皆さんは最近いかがおすごしですか?

ところで、「コジコジ」を読んだことのある方っていらっしゃいますか?
私にとって、18歳の頃からの心のバイブル、「コジコジ」。

コジコジの言葉は面白いものが沢山あるのですが、今のお気に入りはこちら✨

「みんな役に立っているんだね。コジコジは役に立ったことないよ」

です☆

この台詞をコジコジが言った後、クラスメイトが「そ、そんなことないよ」「コジコジだってきっと何かの役に立っているはずだよ」ってフォローしようとするのですが、追い打ちをかけるようにコジコジが、

「何の?誰の?」

と聞くと、みんな静まり返るという場面。。。面白いです^^;
でもそこから神様ってどういう人?という話になり、物知りじいさんという人に聞きにいくという回で、そのお話全体も楽しいです。

他にも悪の大王が来る話や、問題児だったタコがいつの間にか改心する話や、手紙を書く話など、第1巻だけでもかなり楽しいので、おすすめです☆


ふざけているわけではないのですが、レムリアンシャーマンって、コジコジみたいなイメージです(笑)
コジコジみたいな偉大なる無知を、人間の肉体や心を持って生きてみよう!みたいな感じかも☆

ああ、そろそろお昼休みが終わります。
なんか今日はコジコジをご紹介したくなっちゃって、心のままに書いちゃいました☆

それではまた~♪

祈りは錬金術(2014.12.12)

「祈りは錬金術」

だと、私は思うのです。

その人の笑顔を思い浮かべて、お祈りをする。
そうすると私自身がとっても嬉しい気持ちになる。

その人が笑顔になることは、私の願いだから、だから思い浮かべると幸せな気持ちになるのだと思います。
それはお会いした事がなくても。

錬金術は、錬金術師の願いが原動力になります。
だから、私が幸せを感じることが原動力となる。
私は自分のためにいつも祈っています。

天使のメッセージ(2014.6.8)

人は似た者を引き寄せると昔から言われておりますが、eclipseのワークをお受けいただくクライアント様もそれに当てはまるとしたら(私が自分に似た方を引き寄せているとしたら)、「学び上手」な方が多くいらっしゃるのかもな~なんて思いました。

これは自分の経験からなのですが、「学び上手」にも光と闇があります。
学び上手の光の側面は、「どんな経験にも意味を見いだして、自分の成長の糧にする。そしてそれは自然とわき上がる愛や感謝とともに成されていく。」なのかなと思います。
そして闇の側面は、「どんなに自分が傷ついても、きっとそこには愛があるのだから、感謝しなければ。受け取れない自分に問題があるのかもしれない。だから頑張ろう。」一概に言葉で表すのは難しいけれど、こんな感じかな?と思います。

「学び上手」って、時には「手放し下手」になるのだと思うのです。

自分には限界があって、そして自分の身体と心はとても傷ついていたとしたら、まずは自分のケアを優先してあげた方が良いと思います。それが愛ある行動の基本かもしれません。
そして自分を癒して、自分に余裕を作ってあげることができたら、もう一度振り返ってみると良いと思うのです。
それこそ、求めていた学びがそこにあるのかもしれません。感謝が自然と湧いてくるかもしれません。
なんだか吹っ切れて、「私、こんなに傷ついたの」とか、「なんかムカついてきた」とか、抑えていたものを、誰かに聞いてもらいたくなるかもしれません(笑)。
学び上手は我慢強いので、自分が傷ついているとか、癒しが必要って、なかなか気付きづらかったりもするんですよね^^;
ですが、放っておくと時にはPTSDに苦しむ事になり、それはとてもとても辛い事なので、ご自身の心の状態を軽く見る事だけは止めてほしいなって思います。

なんだか前置きが長くなってしまいました。すみません。
今日は、最近自責の念に駆られていたり、大きな変容に向けて頑張っていらっしゃるクライアント様が多い気がして、私が先月申し込んだ「エンジェル・メッセージ」というリーディングをご紹介したいと思い、ブログを書き始めた次第です。

これはスーパーバイジーの井上千晶さんがされているワークで、SVをさせていただいた時に「6月これをやろう!」と盛り上がり、そして自分も受けてみたくなって、フライングで申し込ませていただいたんです。
ちょうどその頃って、昨年秋から続いていた苦しみから解放されて、まだまだ癒しは続くけれど、努力が実りつつあるのを感じていた頃でした。

以下は、私に届いた天使からのメッセージです。
(井上千晶さんにご快諾いただき、掲載しております)
※ブログに掲載する際に、改行・行間等の編集をしております。


天使からのメッセージ :::::::::::::::::::::::::::::::::::
ありがとう。あなたはよく頑張ってくれました。
あなたが耐え忍んで見事に何局を乗り越えてここにこうして存在していることがとても嬉しいです。

あなたがか弱い体で苦しそうにしているとき、そのまま闇に飲みこまれ消えてしまうのではないかと思いました。ですが、あなたは小さな光を見つけ、それを諦めなかった。
あなたはその光を信じ、それを手にしている自分を信じ、生きる希望としてくれました。

その光はあなたの命に更なる愛と内なる強さをもたらしました。
あなたはもう今までのあなたではあり ません。さあ、幸せになると決意し、進んでいきましょう。
あなたの愛と強さ、そして命に宿った光を、 かつてのあなたのように悩み消え去りそうな方々に分け与えましょう。あなたはただ優しく微笑み、その方々の力を信じてあげれば良いです。
あなたと同じようにその方々も自分の力で立ち上がります。その美しさにあなたの光は一層輝きを増し、目の前に更に新しい世界を創り出してくれるでしょう。


でもまずは体を休めることを意識して下さい。
休憩時間も大切。一定期間、お仕事を休むのも大切です。 大きな変化を成し遂げ、進む為に休みましょう。
あなたの体はまだ疲れているようです。体に良いもの をしっかりと食べましょう。心が喜ぶこと、安らぐこともたっぷりとして下さい。自然の力を借りて下さい。自分に優しくして下さい。
そうしながら過去のあなたをゆっくりと癒し手放していきましょう。 不健全な関係があれば癒す、またはその関係から離れていきましょう。恐れが残っているのなら向き合ってみましょう。愛のある考えで解決していきましょう。

慌てる必要はありません。あなたはシンクロ に気付き上手にチャンスをつかめる方ですし、しっかりと具現化していける方です。自分の夢を実現す る、と意図すれば必ずその道を通っていくことができます。
そしてそれはいつでもできることです。あなたの大切なものは守られていますし、あなた自身もしっかりと守られています。
だから安心して自分 を癒す時間を作るようにして下さい。誰もあなたを責めないし、あなた自身も自分を許していきましょう。

これからあなたが体に摂り入れるものや着るものは新しいあなたを創っていきます。休むことは新しいあなたのセレモニーとなります。心豊かに、より大きな愛を持って生まれ変わりましょう。


最後に、あなたには何の心配もいらない、夢のような生活が待っていますよ。
夢というのはあなたの望 むような生活です。
自然や人から愛されて安心安全な空間の中で心安らぐ時間を積み重ねていけるでしょう。
過去のさまざまなことは、時には水の泡のように浮かんでは消えていくこともありますし、風と なってあなたに触れることもあるでしょう。ですがどれもあなたの心を脅かすことはありません。あな たはただ戯れ微笑み、それらの様子を見守るだけです。全てを許し愛を体現する美しいあなたの豊かな生活です。楽しみですね。

私たちはいつでもあなたを愛しています。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

『Make a Dicision』決断する。決断できない時は自分の直感に耳を傾けて1つだけ選択しましょう。 『Good-Bye to the Old,Hello to the New』古いものにさようなら、新しいものにこんにちは~あなたは人生の第1部を終えました。そして今、新たしくそしてより良い第二部がスタートします。
『ADMIT THE TRUTH TO YOURSELF,AND ACT ACCORDINGLY』事実を認め、しかるべく行動する。 『MRRIAGE』結婚。私は神、自分自身、そしてパートナーと健やかな関係を続けることを約束します。


うう、天使さん、私を見守ってくださっていたのですね?!うるうる、、、となりました(*´д`*)
そして、見守ってくださっていたのは、天使さんだけではなくて、友人や両親、そして私を気にかけてくださった皆様も見守ってくださっていたのだと思いました。

先日いつもお世話になっている方からセッションを受けた時、「どういうワークとかWSをすると喜んでいただけるだろう?クライアント様はどんな事を求めてくださっているのだろう?」と相談したら、

「クライアント様は佳代子さんをとても信頼しているの。でもね、それは信頼だけではなくて、佳代子さんは愛されているみたいなの。ただこの人信頼できそうとか、能力があるなとかって、それだけというか、そこで終わりなのだけれど、佳代子さんは愛されているの。
そしてクライアント様たちは、佳代子さんから癒しと導きが欲しいと思ってくださっているみたいですよ。それは、そのままの佳代子さんで居てほしいということだと思います」

そう言っていただいて、私は、

「そうなのですね。。。なんて、ありがたいことなのでしょう。ということは、私はもっと力を抜いて、無理しちゃいけないってことですね」
と言いました。

きっといきなりそんなこと言われたら驚くとは思うのですが、これまでも「佳代子さんがやらなくちゃいけないのは、生きることです」とか、「なんの問題もないのだから好きに生きれば良い」とか、そんな感じで励まされ続けて来たので、複雑な気持ちは毎回ありますが、自分でも生きていて腑に落ちるところがあるし、「私は私を生きること。ただそれだけ」受け止めていきたいと思っております。

愛されようとしたって、愛されるのが難しかったりするのに、ただ私でいるだけで愛していただけることって、本当にありがたいですし、嬉しいです。
そして、その「愛される」ことが、大変だった私を救ってくれました。

私は「品格」というものを大事にしています。

辛すぎて、悲しすぎて、怒りとか復讐心が芽生えた時、私を救ってくれたのは愛でした。
そして私は、「愛されているものとして、その愛にふさわしい人でありたい」そう思ったのです。
だから、どんなに理不尽なことをされても、どんなに奪われても、未来を信じて耐え続けて、決して同調せず、上がるべきではない土俵には上がりませんでした。

激しい怒りの感情は、私を傷つけるだけ。
私を支配する、私を苦しめる感情から、私を解放してあげたい。
そう思ったのです。

先日見た「マンデラ」という映画で、
「私にも復讐心はある。だか私の目的はそこにはない」
完全には覚えていませんが、こんなニュアンスの台詞があって、とても癒されました。

ゲリー・ボーネルさんのセッションでも、
「君のシャドウは復讐心。その復讐心は、正義の心で悪を明るみにして裁くような復讐心なんだ」
と言われた時に

「私は今回、復讐しませんでした。それは、私を愛してくれている人たちは私のそんな姿を見たら悲しむと思うし、同じように、私は私の愛する人たちが悲しむ姿を見たくなかったから」

そう答えたら、
「そうだね、それでよかったんだよ」
そう言ってくださいました。

愛されているものとしての品格。
それを持ち続けていたい。
そう願うのは、私も愛しているからなのだと思います。

あとがきも長くなってしまった!(*´д`*)
言葉っていいですね。
書いていて、私は愛ある言葉にも癒され、救われてきたのだなと、改めて思いました。

わーい!もっと癒されたーい!(笑)

辛かった時、あるスーパーバイジーさんのセッションを受けて、助けてもらってことも何度もありました。
ああ、こんなにも素晴らしいセッションをされる方のお手伝いをさせていただけて、なんて幸せなのだろうと、辛い中でも幸せを感じたことも、忘れられません。
そして現在も、スーパーバイジーさんのワークを受けさせていただくと、ワークの豊かさはもちろんですが、やっぱり同じように幸せな気持ちになります。

ヒーラーさんは一度は経験あるかもしれませんが(笑)、こんな業界うんざり!って思って、またお洋服の仕事に戻ろうかなとか思ったこともありましたが、周りを見て絶望する必要なんてなくて、自分の景色は自分の好きなように創造できるんだよねって思います。

力を抜いて、どんどん楽になっていく自分を見てみたい。
どんな景色が見えてくるのかな?
楽しみです^^

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
こんな文字数をお読みになると、疲れますよね^^;
そんなときは「かよこさん、ヒーリングして~」と心の中でおっしゃっていただけると幸いです。

それではまた~!

スピリチュアルカウンセラー/ヒーラー育成に対する想い(2014.4.21)

ひとつ前のブログに書いた通り、マッタリしていました。
とはいえ、お勉強もしていて、今日は素晴らしい講座を朝から夕方まで受けてきました。
医のこころと人間論という講義を受講させていただいたのですが、どの教授も戦争を体験されたおじいちゃん先生で、お話しになることは普遍的でもあり新しくもあり、愛があって、柔軟で、とても癒されてしまいました。

スピリチュアルな癒しや、カオスと創造のお話、シャーマンと現代医療の共生のお話なども出たりして、でもそれは理論立てて追求し、その追求の過程にあるもの達で、その過程を追い続けたご本人からのお話は、内容の濃い、実に心に響く講義でした。

それぞれの先生方は本を出していらっしゃるようなので、読んでみたいなと思っています。
Kindleもあるし♫

いつも、こういうお勉強をするとき、自分の人生や感じてきたことを、こうして言葉として教えていただくと、とても癒されるのです。

今日一番心に響いた言葉は、京都大学名誉教授で、教育心人間学の専門の先生の言葉で、

「希望とは、甘いものではない。希望は、『まだ終わりではない』ということ。
例えば悲しいことが起きたとしても、起きたことは残念だけど、でもまだ終わりではない。
まだ道はある。それが希望なのだと思うのです」

と言う言葉でした。

私はこの言葉を聞いて、とても癒されました。
私は常々絶望を感じているのですが(笑)、それは「ずっと続くから」なのです。「まだ終わりではない」から。
でもそれは希望なんですよね。
本当に、希望とは甘いものではないと思います。

次の言葉にも癒されました。

「悩む人は弱いのではない。望んでいるものがあるから悩む。良くなりたいという願いを持っている。
悩みを放っておくと、絶望に陥ってしまう。絶望と孤独は死に至る病。
でもそこをくぐり抜けると、人はしなやかになり、優しくなる。
自分の利害を超えて人のために働くようになる。

人は苦悩を通して本当の人間になる。
その人が自分で目覚めなければならないが、ひとりでは目覚められない。
どんなときにも変わらずに接してくれる人がいる時、目覚める力が湧いてくるのです。」

そう、そして、そのように愛によって目覚めた人は、今度は自分がその愛によって周囲に接していく。それは無償の愛によって。
そんなサイクルが続くのだと思うのです。

私はいつも思うのです。
大変だったとき、私には手を差し伸べてくれる大切な人たちがいました。その感謝は一生忘れることはないと思います。
そしてその愛と思いやりに育てられ、今の私が居るのだと思っています。
だから感謝しかありません、その感謝と感動で、私は今このお仕事をさせていただいているです。

宇宙の愛も温かいです。
だけど、私が触れた血の通った、人からの無償の愛は、私の心と身体に体温を与えてくれて、愛を目覚めさせてくれるのです。

私の学びも永遠に続きますが、自分の仕事のひとつとして、そんなヒーラーを育成したいです。
それにはやはりプロセスは必要だと常々感じています。

ある海外のサイエンティストの方が、日本の大学で教鞭をふるわれた最後の日に、このような言葉を残したそうです。
「日本の科学者は、果実だけを採取しようとして、過程を大事にしない」
と。

この業界にもよくある話かもしれません。
カウンセリングやヒーリングのお手伝いにおいても、その施術者の育成のお手伝いにおいても、伝授やエネルギーワークなどはもちろん便利だけれど、あくまでも補助なのです。
人間として、その肉体と心で感じ、体験していくことを飛び越えて、甘い果実だけを搾取することは出来ないのです。
カウンセリング重視でないワークをしていたとしても、その人の心と身体、精神、魂に触れることはあるでしょう。
そこに触れるとき、相性もあるでしょうけれど、施術者の人間性で癒しの深さに違いが現れるのは事実だと思います。

人間としての成長なくして、このお仕事はできません。
前にも書かせていただきましたが、このお仕事に置いて「満足感、達成感」は永遠に得られないと思います。
それらを感じている時は、カウンセラーはクライアントを見ていないからです。

個人的には、「私には無理。難しい」と思っている人の方が、カウンセラーに向いているかもって思います。
常にその難しさを感じるのが、人の心、その神聖さに触れるということだから。

もっと沢山良い学びがあったのですが、書ききれません。
今後も講義を聴きにいく機会がありますので、そこで得た素敵なエッセンスを、eclipseのスピリチュアルカウンセラーの育成のプログラムにも取り入れていけたらと思っております。

レムリアの泉と私(2014.3.3)

日曜日だった今日。
久々に2つの指導セッションを受けさせていただきました。
今日からレムリアの泉を使ったあるワークの構築が始まりました。

ぼんやりと、特に何もしないで、ただ待っていて、ふと浮かんだ構想が形になろうとしています。
だけどもどんな形かは想像がつかなくて、ただ「始まった」と言う感じです。

多分気付いていた人は気付いていたと思うのです。
10月の儀式が終わった後、レムリアの泉というものが今あるべき姿に変容して、それを血の通った肉体を持った私が体現しようとする時、私は独りでそれまで居た場所を飛び出すのだと。

前にも書かせていただきましたが、儀式のお仕事をお引き受けしたとき「なんて残酷な仕事が与えられたのだろう。自分で自分を殺すようなことを、私はするんだ」と思いました。
そのままで十分幸せだったのに、どうしてって思いました。
だけど、私は進むことをやめられない。
これは、私だけじゃないですよね。共にここに生きている存在みんなが、進むことにはあらがえないのだと思います。

今は、これまで学ばせていただいた、言葉では表しきれない豊でありがたいものたちを、これまで通り、もっとありのままの私で、そして新しい私で表現していきたいと思っております。

全て、与えられているのだと思うのです。
この与えられたものは、うまく言えないけれど、もしそれらが私を通して誰かに流れていくのなら、私は常に純粋でありたいと思うのです。
この与えられたものにふさわしい人間でありたいと思うのです。

少し前に、あることでずっと耐えてきた代償として、そのことには後悔はないけれど、怒りの持っていく場所がなくて、身体も心も弱ってしまったことがありました。この激しい怒りを宿したままだと、きっと痛みしか残らない。そう思いました。
そのときに、お世話になっているカウンセラーさんからこんなことを言われました。

「佳代子さんは、全ての怒りを解き放つ必要があります。
その方法は、周りに愛していると伝えること。
愛と安らぎの言葉をかけること。」

私らしいなって思って、力が抜けました。
批判もせず、否定もせず、ひとつひとつのメッセージを通り過ぎるままに感じて、その過程で浮かんだ愛の言葉は、確かに私自身を癒し、気付きを与えてくれます。
だけど、その言葉を愛する人たちに伝えることは、もっともっと私を幸せにしてくれるのだと思います。

独りで飛び出した世界。
だけど、ひとりぼっちではないと感じています。

レムリアの泉が私から離れたとき、私の肉体に血が通って、そのうえで再び「与えられた」と感じたのです。

ある教会で受け取ったメッセージがあります。

「あなたはもう迷ってはいけない。迷うことは豊かだけれど、あなたはもう迷ってはいけない。
迷わないことを自分に赦してください」

今与えられているもの、これまで与えられてきたもの、私はこれらを受け取ったのなら、果たしたいと思います。
迷わない勇気と、これらを純粋に還元できる清らかな心。それはただ綺麗なわけではなくて、全てを内包しても尚、普遍的に美しく、闇を知り、超え続ける清らかな心。
私は持ち続けていきたい。そう思います。

この歌は、私が高校生の頃に大好きだった曲です。
私は変化し続けているけれど、大切な部分は今も、この頃と変わってないなと思います。

枯渇〜創造へのプロセス〜(2013年3月16日)

先日、セッションの時に私が言った言葉。

「完全に枯渇させないと、出てこない」

これは、自分の中の何かを、何ヶ月も生み出すことが出来ずにいて苦しまれている方に向けて、出た言葉です。
新たに生み出さなくても十分色々あるのだけれど、その「有る」ものたちが変化を止めるものとなる時が来たりします。
その「有る」もの達を手に入れたとき、あるいはそれがあることに気づいたとき、本当に喜びに満ちあふれて享受し、「これが私だ」「新しい私だ」と感動に震えたかもしれません。
しかし、新たに享受し、完全に消化したとき、それはある意味終わっているのだと思います。
そして次の段階を迎える。
そのサイクルは繰り返されるほど手放すものも受け入れるものも大きくなっていくのだと思うのです。自分が進化しているのと等しく。

「完全に枯渇させないと、出てこない」
これは私にも何度か訪れたことでした。
しかも待っていても枯渇しないのです。私の場合はですが、自分から枯らしにいかないと枯渇しませんでした。

今までの自分を完全に手放さないと生まれないものを生み出そうとしているとき、死や喪失の恐れを超えて、自分が生み出そうとしている「死の先の生」を目指して、ひたすら何もしなかった記憶があります。
未知なる自分が何なのかなんて考えても分からないし、分からないから未知だと思うので、ただ信じて未知への無知を受け入れ、そして早まらず、この機会さえも深く学びたい気持ちで、細やかに現れるその時その時の自分を丁寧に感じていきました。その丁寧さと信じる気持ちは、全て自分への愛ある行動だったのだと思います。

今の自分を形成している「有る」ものたちを完全に枯らして自分を枯渇させないと、飢えさせないと、望みが出てこない。その望む力が枯渇した大地に雨を引き寄せ、新たに生命を生み出すのだから。

私のこの生み出す、創造の姿勢を「佳代子さんの極め方はアーティストと同じ」と、何度か言われたことがあります。
そうかもしれません。私にとって生きることはアートで、それそのものが仕事なのだと感じています。

なんかこのことを書きたくなって書かせていただきました。
表現の仕方やプロセスの歩み方、創造への取り組み方は様々かもしれませんが、人はアーティストだと思うのです。

震災から2年(2013年3月10日)

今日は首や肩が重くて、そしてとても眠くて、さらにご飯も食べられなくて外出も出来ないという日でした。ニュースで知ったのですが、東京大空襲の日だったのですね。
そして明日はあの震災の日。数日前から深いあの悲しみと、自分がおかしくなったのではないかと思うぐらいの溢れんばかりの愛の感覚がもどってきたような状態になっていました。
私は多分、今もショックを受けているのだと思います。幸せに生きているけれど、悲しみを忘れたことはありません。
9.11のショックも実は残っています。子どもの頃の湾岸戦争のショックも。とても幼い頃に飢えに苦しむ人々を知った時のショックも。

悲しみは薄れることは無く、喜びと等しく、言い方が変かもしれませんが、いつも初めてのような新鮮な悲しみのように胸に深く突き刺さります。
悲しすぎて何を祈ればいいのか全く分からないけれど、祈っています。
そして、「働きたい。私が出来ることをこれまでと同じく続けていこう」と思いました。
明日も私はそう思っているのだと思います。

愛は雷のよう(2013年3月7日)

今日はスピリチュアルティーチャー/ガイド育成プログラムの初回でした。
ご案内文を掲載していないのですが、始まりました〜! 次回は掲載しないとですね。

このプログラムでは、毎週自分の物語を作るという宿題が出ます。
ただチャネリングして答えを降ろしたり、本に書いてあるその本の中の答えをただ言うのはスピリチュアルガイダンスにはならなくて、ティーチャーは自分の言葉で語り、その語られたことが、その人の中に新しいイメージを生み出し、そのイメージによって新たな可能性を開いたり、真実を抑えている怖れからの解放を起こしていったりするのです。

1回目のテーマは「愛」でした。グループによってその回のテーマは違ってきますし、同じテーマでもお話しさせていただく事は違ったりします。受講生の方によって、私の中から引き出されるお話は様々な気がしています。
なので何も考えずに講習をさせていただきました。

私にとって、今日のテーマ「愛」は雷のように衝撃的なものというイメージです。
20代はなんだか色んなことが巻き起こり(自分で起こしていたんだと思いますが)、一言で言うと「い、生きた!」という感じです。
30代からは老後というか、一回死んで「ああ、地上ってこんなに素晴らしいところだったのか」としみじみ感じた気持ちを持った死人がこの世をうろうろしているような気分で過ごしています。なので何が起きても幸せに思ってしまうし、明日全てが無くなったとしても、たしかにちょっと困るけど生きていける自信があります。

愛は雷のように衝撃的。

これは20代半ばに経験したことでした。
10代後半から突然家出状態だった私。今思えば愛を求めていたのだと思います。愛を求めて、外に外にいっていたその頃。求めても求めているものは得られなくて、求めるたびに傷ついて身体もやせ細り、毎日毎日涙を流していました。
でもある出来事があって、それが私を変えたのです。
抽象的な書き方になってしまいますが、それは生まれて初めて自分の中に愛があることを感じた瞬間でした。
雷に打たれたような衝撃が走りました。
心から愛することを知ったとき、私は知ってしまったのです。私は誰のことも愛していない。自分のことも。
当時一緒にいた恋人のことも愛していない。だって、私が私のことを愛していないから。

その出来事は悲しみと痛みを伴うものでしたが、私を目覚めさせてくれた出来事でした。
私が私を愛していないことを認識したあと、私は私を愛したいと願いました。自分にとって愛のある選択をしていこうと心に決めました。
それは自分自身にも残酷なことをしなければ叶わないことだったので、愛ある選択でもあり、残酷な選択をしました。そしてこのことに誓って、私はこれからの人生を愛を持って生きよう、自分を幸せにしようと思ったのです。

ほどなくして家に帰ったら、両親は何も聞かずにアイスクリームを買って来てくれました。安心して満たされる場所がそこにありました。自分が気づかなかっただけだったのです。常に愛されて守られていたのに。
自分を愛することを始めたとき、そして自分にとって愛ある選択を始めたとき、初めて自分は愛されているのだと気づいたのです。
その後も一家無一文になったりしましたが、無謀にもローンを組んで家を買って引っ越して、幸せに暮らすことが出来ました。普通に考えると無謀な選択だったのですが、根拠のない自信があったのです。生きていけるという自信が。そして本当になんとかなったんです。
なけなしのお金で暮らしを維持する選択もあったかもしれませんが、口から出た言葉は「引っ越そう!家を買おう!」でした。そしてゼロになって、父は50代後半にして勉強し介護の仕事に就きました。楽しそうに仕事をする父をみて、母も喜んでいました。
私も日常の素晴らしさに感謝して、日々の仕事を頑張りました。

自分が求める愛は自分の中にあって、自分にとって愛ある選択は自分自身にしか分からない。誰にも満たすことは出来ないし、誰にも選択をゆだねることは出来ないのだと身をもって受け入れてから、私の世界は大きく変わりました。
そしてそうすることで自分以外の人からも、あの頃の私が求めていた以上に豊かな愛を感じることができたのです。もちろんそれは今も続いていて、褪せることなく感動は大きくなるばかりです。

そんな出来事があり、引っ越して7ヶ月ほど過ぎた後、突然お仕事に行けなくなって引きこもり、次章へつづく。。。という流れがあり、このお仕事へと繋がっていきました。

そのようなわけで、私にとって愛は雷のように衝撃的なのです。

プログラムが始まって、私も表現することを学んでいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございます^^

野の花(2013年2月28日)

1月にロンドンに滞在中、スーパーバイザーが話してくださった野の花のお話が、とても心に響きました。新しいワークの構築の際に例として出てきたお話なので、時間にしては20秒くらいのものだったのですが、今でもその余韻が他のエピソードへと繋がっている気がしています。

野の花は小さいから、大きな大地に守られて、そして小さいから沢山受け取れる。

野の花っていいなと思いました。
そして自分は生まれた時も今も、野の花のようなものなのかもしれないと思いました。
危機に陥った時は大きな力で守られて、嬉しい時は沢山の祝福が降り注いでくるような、
小さな私は大きな大きな幸福を感じるのです。

去年の10月、ロンドンの箱庭療法士コースのとき、
わたしは箱庭を創るたびに溢れ出すものが止まらなくて涙を流していました。
最終日も泣いていて、思わずこんなことを言ったのです。

「想いが溢れてきて、すぐ私からはみ出してしまうのです。
私が宇宙くらい大きければ、こんなに泣かないのかもしれません」

私のこの身体、この心には限りがあって、それがこんなにも幸福を感じさせてくれている。
溢れてはみ出しちゃうくらいの感動を与えてくれている。
限りある小さいこの私という存在が無限の喜びを感じたとき、
こんなにも感動に打ちひしがれるものなのかということを知りました。
有限と無限が共存し共鳴し続けることは、こんなにも素晴らしいことなのかと思いました。

野の花っていいね。小さいって大きいね。
と思ったお話でした。

無からも有からも受け取れる、そんな自分でありたいなと思います。
そして限りある「有」は、この世界でどう生きていきたいかを教えてくれる。
その創造性は無限なのだと、野の花の私は思うのです。

怪しいけど普通 (2013年2月17)

今朝起きて、ある方の「どんどん自分が怪しくなっちゃう」っていうフレーズを思い出しました。
私もどんどん怪しくなるなぁと思いました。
元々秘めていたものを出しちゃうと怪しくなるよね?!って言うほうが近いかもしれません。

私がこの世に生まれてきて見えていた世界は、人も含めてあらゆる物質が様々な光として見えていた世界でした。そのうちちゃんと物質も見えてきたのですが、人を顔とか肉体で判別することがとても苦手でした。だからレムリアや光の錬金術が好きなのかもしれません。
人以外の存在、風や木々や土とか虫とか動物とか、ちょっと怖いのも含めて目に見えない存在と心を通じ合わせているのが当たり前で、誰かに言うこともなく過ごしていました。私が小学生くらいのとき、ある日父がテレビに出ている超能力者とか霊能者に腹を立てているのを見て、 「お父さん、こういうの嫌いなんだ。気をつけよう」と思ったのを良く覚えています。今思えば気を持たせる番組の在り方の方に腹を立てていたのかもしれませんが。

そんなこんなで私にとっての普通の状態で年月が過ぎて、それなりに色々山あり谷ありで、唯一確信を持って取り組んでいた仕事に突然行けなくなったんです。大好きな仕事がもうできない。身体が動かない衝撃は今でも覚えています。ショックで引きこもり、そして再び色々あって、今のお仕事を始めることになりました。
※色々という単語でいろいろ割愛してます。笑

ほどなくして色々濃い出来事があった末にシャーマンの覚醒の時が来て、シャーマンのお仕事として霊の癒しを始めさせていただきました。父はその頃すでに私のファンになっていました。父の職場の人もなぜかファンになってくださっていました。
不思議でした。あのテレビに怒っていた父をよく覚えていたから。
父に「どうして私を信じてくれるの?反対しないの?」と聞いたことがあります。
そうしたら父は「佳代子が3歳だったかな?おじいちゃんの四十九日の時に、車の中で佳代子はおじいちゃんとずっとしゃべっていたんだよ。あれ?おじいちゃん、なんでいるの?とか言ってね。最後には、おじいちゃんバイバイって言ってたんだよ。お父さんは運転しながらずっと聞いていたんだ」と教えてくれました。
父は私が覚えていないことを覚えていてくれていたんです。
だから、父から見て私の仕事は、不思議だけど普通のことなんだなと思いました。不思議なことだけれど佳代子にとっては普通なんだと。

前の職場の同僚や上司にも全く驚かれず、「なんか納得」と言われました。
「はっちゃん(当時のあだ名)がいると守られている気がしていたのはこういうことだったのか!」と言われたことも。私の方こそとても大切に教育していただいたのに、そんな風に思ってくださっていたのかと、ありがたい気持ちになりました。
そしてそれからも色々あって、私の自由すぎる魂が、心から愛していたシャーマンのお仕事を突然手放してしまい、なんか繰り返されているけれど再び何もなくなってしまい、何もないところから創造する苦しさと豊かさを学びました。
そして新しいワークが創造されてそれを深めていって、シャーマンじゃなくなってから約2年後の昨年12月12日、再びシャーマンになるというまさかの出戻りをしました。戻る気はない!って決めて新しいことを始めたのに、人生って面白いです。
そのとき父に、「私、またシャーマンのお仕事をするから、お父さんにも迷惑をかけるかも」と伝えたんです。以前はワークの度に寝込んだりしていて、父にも影響が行ってしまったことがあったので心配でした。でも父は「お父さんは平気だよ!まだまだ元気だから!」と言ってくれました。
こんな感じで、今や父も怪しい会話に普通に応えています。笑

ちなみに以前とは違って、シャーマンになっても寝込むこともなく、むしろやりたいことがやりやすくなりました。あのとき私の全てだったシャーマンワークを失い、そこから自分を信じて新しく創造出来たことや、ある意味誰からも期待されなくても自分でやりたいことを見つけ願い求めることが出来たことが、私ってもっともっと大きかったんだと気づかせてくれました。

今は色んな側面を惜しみなく表現していきたいと思っています。
そうなるときっと増々怪しくなるんですよね^^;
でも芸術は爆発だ〜!!って感じで止めるつもりもないわけで。

こうして書いてみると、本当に出会いに恵まれています。嬉しい!それなりに大変だったこともあるけれど、いつもラッキーガールな私です☆ありがとう!!

誕生日でした(2013年1月24日)

1月23日は私のお誕生日でした。
雪の予報はなかったのですが、1時間くらい雪が降ってくれました。嬉しかったです。

毎年書いているかもしれない話なのですが、私は幼いころから自分の誕生日には空を見上げて「わたしがここに生きていていいのなら、雪を降らせて」とお願いしていました。
そして必ず雪が降ってくれました。
晴れていても必ず降ってくれたのです。小学生のとき、降る気配のない日に空にお願いして、すぐに20分ほど雪が降ったこともありました。
その雪は年に一回、私の誕生日に、生きていることをつなぎ止めてくれる雪でした。

でもふと、「願ったことが叶ったら、それは願ったその人が叶えたこと。天使とか誰かが叶えてくれたことではなく、その人が願ったことで実現したのだ。だから願いが叶ったら、それはその人自身が叶えていること。だから凄いのはお願いした相手ではなく、願ったその人本人なのだ」という言葉を思い出しました。

そうか、これまでの雪は私が降らせていたんだ。
そう気づきました。
気づいていたのかもしれないけれど、受け止めることが出来ました。
そして、問いかけ続けていた疑問に対して、自分で答えていたのです。私は生きたいから雪を降らせていたのだと。

お誕生日はとても幸せな一日でした。
生きていて良かった!と、今日だけでなく毎日思っています。
全てのかたに感謝を送ります☆
ありがとうございます。

混沌〜全財産6万円になった話〜(2012年3月23日)

神性に近づく段階で必ずと言っていいほど起きるのは、「色々減って行く」とか「失われて行く」という現象です。
※実際は減っても増えてもいないのですが、「現象として」という意味です。

まさに「無一文になるのでは?!」という状況になったりとか、ヒーラーさんなどはお仕事のお申し込みが止まったり、これまで自分が正しいと思っていたことや概念がガラガラと崩れていって、自分の存在が無くなってしまうような感じがしたり、とにかくゼロになるという現象が起きたりします。

こうなったとき、ある意味力を抜くチャンスでもあり、吹っ切れて怖いものなしになる・一段階強くなるタイミングなのだと思います。

一度この超えて行く経験をすると、次の混沌がきてもちょっと余裕が持てます。
私はこれからもより豊かな混沌を経験して行くのだと思いますが、「やめてくれ~(と同時に異様なワクワク)」という混沌は何度もありました^^;

なかでも面白かったのが、一昨年の9月にロンドンに光の錬金術と魂の錬金術を習いに行ったときです。

いろいろ出費や追加で講習があり、なんと全財産が6万円になってしまったんです。
遠くロンドンの地で6万円。。。^^;
翌月や翌々月に、住民税や予定納税などで80万円の支払いが控えているというのに。

しかもそのとき同行してくれていた義妹やスーパーバイザーに「私、全財産が6万円になっちゃった~」と話したところ、義妹もスーパーバイザーも全く心配せず、かくいう私自身も「ど、どうしよう。こんな混沌やめてくれ~!ああ、でもこのワクワクは何?どうしよう、なんでワクワクしてるの~?!」という状態でした。

かといって喜びの衝動に駆られないと働けない身体なので、自分がやる気になるまで待つしかなく、いつも通りに過ごすしかありませんでした。

そうしたら更なるハプニングが起き、ロンドンのハロッズでお財布をなくしてしまったんです。
全財産6万円のうえに、お財布まで。
もう、ニヤニヤが止まらず、「ああ、お金がないと困るけど、困るだけか~」と、実際はもちろんお金がないって切実なことなはずなのだけれど、ありのままを書かせていただくと、そんな思いが浮かんで、ニヤニヤしてしまったんです。

お財布はというと、無傷で返ってきました。
もしかして、ニヤニヤしてなかったら返ってこなかったのではないかと、あとで漠然と思いました。根拠はないのですが、なんだか象徴的な出来事な気がして。

そしてある瞬間に「あ、こんなセッションをさせていただきたい」という思いが出てきて、お仕事を始めさせていただいて、80万円も乗り越え(笑)、なんでこんなに何もないのに生きていけているのだろうか?と、不思議なような当然のような、そんな気持ちになったのを覚えています。

この頃は光の錬金術の講習中で、「無知なる者だけがたどり着ける場所がある。無知なる者だけが解ける封印がある」というお話を聞いていたりしていて、それって神性のワークとも繋がっていますが、講習以外でも全身で経験させていただいた感じがしました。

追記:
そうそう、混沌の終わりには「音」が鳴ることが結構あります。
電話とか、インターホンだったり。スイッチが入った音だったり。
呼び出したり知らせたりする系統の音が多いように思います。

そのときそのときの自分で(2011年10月14日)

昨年末、私はレムリアンシンフォニーという一斉ワークを進めていくためにお魚から人間になり、その後年が明けてシャーマンの権限を勝手に手放したためシャーマンでなくなり、今年5月には再び人間でなくなりました。

お魚から人間になった時は、過去生が全て変わるという楽しい体験をしました。
あと、手も、お魚のヒラヒラな手ではなく人間の手になった為、人間の手でワークをしていくというのが新鮮でとても楽しかったです。

シャーマンでなくなったとき、「人の意思や願いが、ある大きな意図を越えたとき、宿命さえも変えてしまうんだ」と、自分は本当に自由であることを思い知らされ、自由である事や願う事がとても怖くなりました。
でもその怖れの中で、その時その時の自分を楽しみ、そしていつでもその時の自分を手放せるように在りたいと願いました。

そこから始まった「存在しないこと(存在を決めない)。無へのプロセス」は本当に楽しかったです。

そして5月に再び人間でなくなったとき、私はどうなったかというと、相変わらず楽しい自分がそこに居ました。

「存在しないこと。無へのプロセス」の時点で、自分が何者か考えていてはたどり着けない領域へとワクワクしながら進んでいたので、単純に「楽しければ自分が何者でも気にしない」という状態でした。

今の私は、何者でもなく、私自身が望めば何者にもなれると感じています。
お魚の手でワークも出来るし、人間の手になってワークすることも出来ます。
要は、自分がどんな存在かはあまり関係なくて、「そこに喜びがあればあとはこだわらない」というお気楽な状態で生きています。

もちろん抵抗もあったりするのですが、抵抗していてもそれが楽しかったり、怒りがわいてきても幸せだったりするのは、結局喜びの中で生きていて、その時その時を楽しみたいと願っているからなのだと思います。

いつでも手放せる自分で在りたい。
だからこそ、「今私はこういうことを楽しんでいて、こういう役割を頑張ってます!」とか「今の私のやりたい事・願っている事はこれです!」ということも、惜しみなく遠慮なく表現していきたいです。

少しずつ、私も力が抜けてきているのかな。そうだといいな。

とても崇高な自分も、とても残酷で底なしに性格の悪い自分も、とても愛に溢れた自分も、とても弱い自分も、発見するたびに豊かな気持ちになります。

そのように豊かな気持ちになれることが、自分への赦しにも感じて、癒されていることを感じます。

悩みは尽きないのだけれど、悩めることも嬉しくなってしまったりして、「私、不真面目なのかも?!」とスーパービジョンを申し込んじゃったりしたこともあります。

これってカオスですよね^^;

創造は混沌からしか生まれず、
常に混沌な私は、常に創造しているのだと思います。

これって、訳が分かりません。
なので一度考えだすと、意味不明のスパイラルに陥ります。

そんなときは「分からない」という事を受け入れると、創造がグンと進んだりします。

なんか、このブログ自体がカオスになりかけている気がするのですが(笑)、書きたいままに書かせていただいてます。

私には自分が経験して感じたことしかお伝えする事ができないのですが、読んで頂いている人によっては全く意味のないかもしれない日記を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

常に混沌な私のつぶやきが、混沌で苦しまれている方のお役に立てることができれば幸いです。

ありようは無限(2011年8月27日)

帰国してから、ハートから暖かいエネルギーが広がっていて、それはただただ暖かく、その暖かさには無限の愛のありようを感じるような、そんな何とも言えないエネルギーを感じていました。

帰国後、成田からのバスに乗りながら感じた日本。
それは前回の帰国時とは違った日本でした。

光が深まっている。
愛が強まっている。

もちろん闇も深まっています。
でも以前と違うのは、闇が闇であることの迷いが、以前と比べて減少しはじめている印象を受けました。

闇は闇。光は光。
その迷いがはれればはれるほど、両者が深まり、「無」とか、「全てはひとつである」という意識や領域が見えてくるのかもしれません。
だから「深まる」というプロセスはとても重要なのだと思います。

このずっと出続けているエネルギーは、無限のありようを愛するというかたちで、その「深める」というプロセスを、とても自然に促進するものなのではと感じております。

ライトワークではすでにさせていただいている感じもしますが、一斉ワークという形で近々ご案内させていただく予定です。
必要だと感じてくださる方に、ぜひお受け取りいただきたいな~と思っております^^

ロンドンで体験した苦しみ。
そこで思ったことのひとつ。

「それを怖れ・闇だと認識しているのは、私自身。
それを光だと認識するのも私自身。
同じひとつのものをどう存在させるかは、私が決めているんだ」

そう思ったとき、「自分がそれを怖れだと認識していることを、まっすぐに認めたい」と思いました。
それはまさに愛からの行動なのだと思います。
そしてその瞬間、私は全ての意図を越えて、怖れからではなく喜びによって自由に選択できる自分がここに居ることを感じました。

なんとなく、このエネルギーを感じている時に思い出したことを書いてみました。
お読みいただきまして、ありがとうございます。

凪の海(2011年4月14日)

この世界で起きていることやその動きに揺さぶられて、とても悲しんでいた日々。
愛しているからこそ揺さぶられ、悲しかった。

揺さぶられている自分がとても豊かであるを教えてくれたのは、私の中にある愛。
今は、凪のように穏やかで、静かな気持ちです。

無へのプロセス(2011年2月23日)

ロンドンの研修で、「引き寄せることは魂にしか出来ない。魂の誓願・方向性はたしかに絶対的だけれど、だからといって心と身体に無理をさせてしまうのはスピリチュアルとは言えない。バランスが大事。」と聞いて、とても納得しました。

やっと心と身体が魂の想いを受け入れて、それを喜びに感じる時が来たから、こうして進むことができました。
待っていてくれてありがとう、私の魂。(死にかけたけど…^^;)


ロンドンでは創造療法を体験しながら学び、それと並行して個人セッションも受けました。

創造療法の初日、私はデモンストレーションの中で

「この世界には、私が求めている形がない」

ということに気づき、深く絶望しました。


そして創造療法の学びを進め、最終日には、

「この世界に私の求める形がなくても、絶望していない私がいることに気づきました」

と感想を述べました。

そう、私の求めるものは私が創造していくんだ。
だから絶望していない。
どんなふうに創造していくのだろう?と不安ももちろん抱きながら、ワクワクしている自分がいました。

私は学校を作りたいのです。
そしてヒーラーという仕事が社会にきちんと存在できるようにしたい。
そのシステムを作りたい。

クライアントが安全にセッションを受けられる環境と、ヒーラーが安全なセッションを提供できる環境を作りたい。

こんなちっぽけな私がこんなこと…って思っている自分もいますが、今やりたいことをやっていくことが、願いの実現への歩みになるのだと思います。

なので今まで通り、私は生きていくのだと思います。
一瞬一瞬、自分に正直に生きていきたいと思います。

長々と書いてしまいましたが、本日もお付き合いいただきましてありがとうございます^^

共鳴(2010年1月15日)

最近、ブログについてのご感想をいただくことが増えました。
まだお一人お一人にはお返事出来ていないのですが、とても感激しております。

私の体験は確かに私の体験なのだけれど、
それは他の誰かの体験とも繋がっていて、
共鳴したり広がっていったりするし、
そして私も誰かの体験に刺激を受け、喜びが広がっていったりします。

私達人間はひとりであり、そして全てでもあるのかもしれませんね。


年が明けてから、私はすごく大切なことを学んでおります。

私はプロとしてこのお仕事をさせて頂いており、
これまで多くの方にセッションをさせて頂きましたし、多くの失敗も経験させていただきました。

失敗の度に私は
「謙虚である」ことの大切さ、
プロとしてお仕事をしている以上「未熟」を言い訳にしないこと、
学び続けるのがプロであるということ
これらをあらためて感じ、失敗という豊かな経験とご縁に感謝せずにはいられません。
そしてどんな経験もやはりキラキラなのだと実感し続けております。

私は常に喜びそのものでありたい、そして常に謙虚で誠実な姿勢で皆様と向き合っていきたいと思っております。

私は「謙虚とは、自分を愛している状態である」と教えられ、実体験を通してそれを学び続けております。
自分の喜びを感じその喜びに満たされていれば、他者と比べることもありませんし、傲慢になることもありません。
誰かより上でもなく下でもなく、卑屈になることもなく、喜びに溢れた状態で、出来ることも出来ないことも堂々と誠実にお伝えすることが出来る。

それが謙虚ということなのだと、私は思います。

私は好きなお仕事をさせて頂いていて、さらにそのお仕事を通して皆様と出会い、豊かなご縁と学びにも恵まれていて、生きていることがとても嬉しいです。

生きているから色んなことが起きるけれど、生きているからそれが経験できる。
経験中は苦しいこともあるかもしれないけれど、それを乗り越えたとき、「生きて、経験できて良かった」と思えたら嬉しいですよね。

明日は新月ですね。
静寂で神聖な新月。
私の心も静寂です。

誕生月に思うこと(2010年1月6日)

私は何も持っていない、何もない人間です。
求められないと何も出てきません。

誰かが私の中に必要なものを見いだし、選択し、持ち帰って頂けることが何よりも嬉しいのです。
私は減るどころか、とても豊かになっていくのです。


1月は私の誕生月なのですが、この月になると、幼い頃に「私がここにいて良いのなら、雪を降らせて」と語りかけていたことを思い出します。
その頃の私にとって、ここに存在して良いのかどうかは、切実な悩みだったのです。

雪は、短い時間ですが必ず降ってくれました。

私は空からの、そして地球からの愛に救われ、生かされていました。


「自然に生きなさい。他者にもそうしなさい。」

神性の儀式のときに戴いた、マザー・アースからのメッセージの一部です。


私は自分の人生を生きていくだけです。
でも私は一人で生きているわけではありません。

人との出会いが私を豊かにしてくれる。
それがどんな関係性であろうとも、そこには必ず愛があるのだと思います。

私は、私にどんな感情を向けられても、そこから愛を見いだせることが嬉しくてたまりません。

こうなるまではかなり葛藤してきましたし、今でも怖れはあります。
だけど怖れは一生おつき合いする感情だと思いますし、それも私の愛おしい一部です。

自然に生きる。

それってそういうことかな?なんて思います。

神性のReclaim構築中の日記(2009年12月21日)

今日は朝からお仕事だったのですが、それまで元気だったのが16時位から徐々に頭が痛くなり、帰宅して少し寝てしまいました。
夜にもセッションのご予約をいただいていたのですが、身体がとても辛くなってしまって、お願いをして日時を変更して頂きました。
そして先ほど本格的に解放が始まりました。

3週間ほど前から目がずっとピクピクしていたり、手が大きくなったり小さくなったりと、「脱皮」の予兆がありました。
それが1週間前からピクピクがピタリと止み、「あ、脱皮へと向かうんだな」と静かに覚悟を決めておりました。

この1週間は、子供の頃に脳裏に浮かんでいたいくつもの古い場面や感覚が再びよみがえってきていました。
残虐な表現になってしまうのでここには書きませんが、子供の頃はそのせいでとても怖い思いを沢山してきました。でも今はそれをとても静かに「ああ、こんなこともあったなぁ」という感じで、ただ受け止めている自分がいます。

古い記憶の中の私は、たとえ相手が私を傷つけようとして傷つけたとしても、痛がることはありませんでした。
私は、すぐに癒えてしまう私をもっと傷つけようとする人に立ち向かい、私の心はその人達の心の中ある「救いを求める心」にまっすぐ向かっていきました。

それが私の願いに通じるものだったから。

誰もが持っている自分の中の神性を思い出すとき、誰もが怖れ、傷つけようとします。
そして傷つけようとする人は助けを求めている。救いを求めている。
人間の心にあるその側面は、私を含め誰にでもあるもの。

今私の中から解放されているものは何なのか、今は分かりません。

ただ、あの頃のように刃(内なる神性への怖れによる攻撃性)を向けられても動じない強さ、喜びを見失わない強さが戻ってきたことは確かです。
それは、私が私の喜びをより強く感じ始めたからなのかもしれません。

まだまだ変容は続きます。
今回は心は結構楽なのに比べて、身体がちょっと大変な感じです。
もにょもにょズシズシしています^^;

来年には何か始めるのか、バージョンアップするのか、どうなるのかは分かりませんが、分からないことがとても楽しいです。

大波小波(2009年10月22日)

なんだかとても大きな変化を迎えています。

それと同時に、「自分が広がるのが怖い」という気持ちもあります。
その怖れもきっと変化における大切なプロセスなんですよね。

怖れも喜びも、どれも自分の心が感じている「愛おしい感情」なのだから、私は気がすむまで感じていたいです。

人間には心がある。考える頭もある。

頭で考えたっていいじゃないか。
心が揺れたっていいじゃないか。

波があるのが人間というものなのだ。
それでいいのだ。

花(2009年7月8日)

私のエネルギーは、よく花にたとえられます。

花は、種から芽が出て、花が咲き、枯れ、新たな種からまた芽が出て、花が咲く。


花は生と死の象徴。
始まりと終わり繰り返し。


私自身も、花のように「始まりと終わり」を繰り返してきました。


今、私の中で何かが終わりを告げています。

それは新たな種となり、美しい花を咲かせると信じています。

何が生まれてくるのか、今はまだ分かりません。


今はただ、枯れ行く姿を愛おしい気持ちで見つめています。

家族(2008年8月31日)

思いつくままに書いたので、ちぐはぐかもしれませんが、手直しせずにアップします。

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私にとって経験上一番取り組むのが大変で、長い期間を必要とする癒しは、「家族との関係」です。

昨年の5月からインナーチャイルドが解放され始め、こういう能力を思い出し、辛いばかりだと思っていた幼少の頃の記憶を、喜びによって思い出される事が多くなってきました。

私は一人っ子です。
だから「大切にされていて甘やかされている」という偏見に随分苦しみました。

小学校3年か4年の時に、友達のお母さんにそういう事を言われ、私は「お父さんとお母さんがけんかしても、一緒に悲しんだり怖がったりする兄弟がいないから、全部ひとりで我慢しなくちゃいけない。
それに親が死んだら、私は本当にひとりになる。同じ思い出を持っている兄弟もいないから、親の死を同じ気持ちで悲しむ人はいない。簡単に羨ましがるなんて失礼だ」と反論した事があります。

私は「死」を認識するのが早い方だったと思います。
幼少の頃から親の死を怖れていました。

それは私に過去生の記憶があり、「死ぬ瞬間」の感覚も残っていたからなのかもしれません。同時に大切な人を亡くす悲しみも。

私はずっと「私は両親に愛されていない」と思っていました。
父は他のコには優しいのに、私には厳しかったし、甘える事が許されなかったから。

母は生まれつき耳が聞こえなくて、私は母の分も沢山の事を聞いて母に伝え、母の気持ちも表現し、そして母の孤独を一番理解したいと思っていました。

母の気持ちが知りたくて、無音でテレビを見たり、耳をふさいで外に出てみたりしたこともありました。

耳の事が原因で実の母に見捨てられて、お手伝いさんに育てられた私の母。
父にいつも怒鳴られていた母。

母は今でも傷ついていて、私はいつの日か母を「重荷」に感じてしまいました。
そしてそう感じてしまった私自身を責めていました。

私にとって家庭は自分の気持ちを表現出来ない場所。
だから長い間家に帰る事はありませんでした。
昔から喧嘩ばかりで、バラバラな私の家族。
ずっとそう思っていました。

でも今は感謝しているんです。
それに至る経緯を書くのはとても長くなるので全ては書けませんが、


家出娘を何も聞かずに、当たり前のように「おかえり」と迎え入れてくれた父。
「耳が聞こえない子が生まれるかもしれない」と周囲から止められていたのに、私を生んでくれた母。
家族の為に、苦しい状況で頑張って自営を続け、そして会社をたたんだ今は新たな事に挑戦している父。
仕事と育児を両立し、学校が早く終わる土曜日のお昼にも、「あたためて食べてね。愛してるよ」という手紙を添えて、必ず手作りの料理を用意してくれていた母。
他にも沢山の事を思い出していき、私にはこんなに素晴らしい両親がいて、愛されていたのだと気付きました。

私は大人びた考えを持ち、感情を表さない、子供らしくない子供でした。
でも本心は、お友達のお母さんに言った事に込められていて、家族がとても大切で、いつでも仲よくしていたくて、

「おとうさんもおかあさんも、だいすき」

だったんですよね。

この前の仲さんのヒーリングセッションの時に、両親にヒーリングを送りました。
今は子供の頃のように両親が大切です。
自然とそう思えるまで、とても長い長い時間がかかりました。

両親を癒す事は、私を癒す事。
言い換えると、私が自分を癒す事を許せるようになってきたから、そして幸せをいっぱい感じる事ができてきたから、感謝とともに癒しが始まったのだと思います。

私は大きな変化の中にいて、家族の事もその中に入っているのだと実感しています。
家族から目を背けては、光はいつまでも私の核には届かない。前には進めない。
分かっているけど向き合えなかった家族との関係。
でも今はその関係を癒していくのが嬉しくてたまらない。

そんな自分を感じられるのもまた嬉しいです。

怖れ(2008年5月25日)

私は今でも怖れを抱き続けています。
腹をくくっても「怖れ」は消えなくて、ふとした瞬間に不安がブワッと広がる事がよくあります。

自分は何をしているのだろうか?
何かやる事があるのだけれど、それを無視しているような気分が続いています。

私の魂はその「やる事」へ向かっているのだけれど、私の「こころ」がそれに気付かないようにしている。
私の中の怖れがそうさせている。

怖れをただ見つめようと思います。

以前の私なら、怖れを消そうとしていたかもしれません。
この仕事をやりたいって心から思っているからこそ、怖れも認めて、怖れとつき合っていこうと思います。

光と闇のように、喜びと怖れは存在するのだと思います。
どちらも大切な私の一部。

私はこの平和な日本に生まれた意味を、小さい頃から考えていました。
小学校2年生のときの好きな言葉は「平等」。

好きな事をしていて、不安になったり喜んだり出来るのって、本当に幸せな事なのだと思います。
だから私は自分の人生を大事に生きていきたい。

ここ居る事に感謝しています。

インナーチャイルド(2008年5月10日)

過去生と違って、記憶のある(忘れていても思い出しやすい)子供の頃の記憶。
記憶があるだけに、向き合うのは過去生よりもしんどかったりするのかもしれません。

今日は私のインナーチャイルドの癒しについて書きたいと思います。

私が昨年の3月に覚醒を始めたきっかけは、子供の頃の記憶を思い出したからです。
私は過去生よりもまず、インナーチャイルドと向き合う事をずっと続けていました。今もそうです。

子供の頃、私は浮いている存在でした。
私と世界の間にはフィルターがあって、そのフィルター越しに世界があるように感じていました。
周りの音や人の流れも、どこか遠くで起きている事のよう。
逆に天使や妖精の方が近くて鮮明な存在でした。

過去生の記憶があり、数字の2と6が大好きで、ピンクと水色が大好きな子供でした。
そして寝る前に必ず「目」が現れて、私はその「目」に吸い込まれ、過去生を追体験していました。
でもその頃は過去生なんて知らなかったし、「目」が怖くて泣いていても「ただの変な子」としか思われませんでした。
私自身も「私は変な子なんだ。普通にしなくては」と思うようになり、金縛りに遭っても「脳が疲れているだけ」と思っていました。

月日は流れ、29歳の時に過労で長期休暇を貰った時、久しぶりに自分と向き合う時間が持てました。
その頃の私は、女性としても社会人としてもここには書けないような経験を色々してきて、本当に疲れきっている状態でした。

そんなある日、ひょんなことから過去生がある事を知り、私が見ていたのは妄想ではなく過去生で、天使や見えない存在がいる事を知り…どんどん私の封印していたインナーチャイルドが解放されていきました。

ああ、私は目でヒーリングをしていた、とか、自分の背中から羽が生える事を信じて疑わなかった、とか、小学校4年生のころ「1億円あったら募金する」と言ったら、クラスメイトに「嘘付くな」といわれて傷ついた、とか。

小さい頃から地球の平和を本気で願っている子供でした。
それを語り合う友は見えない存在。

インナーチャイルドの解放により、私は思い出す事で覚醒していきました。
自分がなぜここに生まれたのかも、思い出していきました。

ずっとずっと「私には居場所がない」と言っていた私のインナーチャイルド。
私の居場所はどこにあるのだろう?
探していくうちに分かりました。

私の居場所は、「私が居たい場所」。自分で創り上げるものでもあるのかもしれません。
私は今、自分が幸せだと感じる場所を見つけて、ここに居たいと強く思っています。

ずっと抑えていてごめんね。
私はこの先も、私のインナーチャイルドと一緒にワクワクを体験していきたいと思っています。

たいせつなこと(2008年4月4日)

大切にしている言葉。

「力を使わず、常に謙虚で感謝と喜びに満ちている事。これだけ心がけていれば大丈夫です」


癒しはご本人が起こす事。癒しは力ずくではない。
力を得ると、結果に期待してしまうかもしれない。誇示したがるかもしれない。
でもそれは本当の力ではなくて、コントロールが入ってしまう。

力を抜いて、ただ自分である事。
感謝と喜びで満ちた自分で、相手と向き合うだけで、ヒーリングは始まるから。


ただそれだけなのに、忘れてしまう人もいる。
相手の人生に敬意を払う事もしなくなってしまう。
ヒーラー本人が内側に目を向けずに、クライアントに自分の未解決な問題を投影してしまう。

どうして?どうして忘れてしまうの?悲しいよ。

私も忘れてしまう日が来るのかな?怖いな…。
忘れたくないな…。


「力を使わず、常に謙虚で感謝と喜びに満ちている事。これだけ心がけていれば大丈夫です」


自分がブレそうになると、この言葉を思い出します。そして自分を確認します。
すると、自分はとても幸せで満たされている事を感じます。

自分が満たされているのは、今こうしてここにいられるのは周りの方々のお陰だと、感謝の気持ちでいっぱいになります。

ぽよよーんと幸せ気分になって、力が抜けて、いつもの私になります。


素敵な言葉。
私の宝物です。

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